ガラスの歴史は非常に古く、腐らず、錆びず、光を通し、外気を遮断する建築物に欠かせない素晴らしい素材です。 皆様方もご存知のように、建築物に限らず、文明の始めから器や工芸品、近年ではコンピューター液晶の表面、携帯電話の文字盤等、生活のあらゆるシーンで重宝されています。恐らくこれ程の素材は歴史上、後にも先にも無いのではないでしょうか。反面、割れてこなごなに砕けるところが”絶世の美女”に例えたいような危うさも秘めています。そんなガラスが大好きです。

こんな時はどんなガラスを?


@冬の暖房費がかかりすぎるので、もう少し安くできるガラスは?

A泥棒が心配なので安心できるガラスは?

B子供がぶつかって怪我をしないガラスは?

C乙種防火戸の窓が義務づけられているのですが、網入りはいやだし、もっとすっきりしたガラスは?

Dワンポイントで窓に美しいガラスを入れたいのですが良いガラスは?

E夏の冷房を逃がさないガラスは?

F今あるサッシに断熱ガラスを入れ替えたいのですが、そんなガラスは?

G隣の音や車の騒音に悩んでいます、防音効果のあるガラスは?

H全身が写るような大きな鏡がほしいのですが、?

I断熱効率の最も良いガラスは?


D防火ガラス     A強化ガラス    E装飾ガラス
@スペーシアB合わせガラス

C複層ガラス          F防音ガラス   

G鏡も忘れないで!


ガラスに関する ご質問&ご相談コーナー

                   担当者  平

                         メール は 


   LINK 「アイ・フィール」から http://www.kinokuniya.co.jp/05f/d_01/back/no8/essay/essay02.html

    ◇ガラスの色◇                                    岡部憲明 Noriaki Okabe

 光と視覚の歴史の中で明らかに重要な役割を果たしつづけた素材に、ガラスがある。ガラスは風雨を遮断しつつ視界を獲得し光を取り入れる役割とともに、反射というもう一つの側面を持っている素材だ。ガラスは紀元前二千年以前に発見され、人類の歴史とともに常に存在してきた。長い間、食器や装飾品として使われてきたガラスは、一三〇〇年頃からのヴェニスで鏡や装飾品として独占的に生産され、一七世紀からフランスそしてイギリスで大量に平板としてつくられ、鏡に、そして窓へと使われていく。

 ガラスがその資質を飛躍的に爆発させるのは、鉄というもう一つの素材が建築や土木構築物に登場した一九世紀。一八五一年ロンドン万博の水晶宮(クリスタルパレス)など大温室や展示場、駅、ギャラリア、パサージュによってガラスは都市を覆い始める。一九世紀半ばから二十世紀初頭は、明らかに「鉄とガラス」の時代として歴史に位置づけられる。空間が加速度的に膨張し、光を惜しみなく手にしていった輝かしい時代だ。「鉄とガラス」の時代は、ヨーロッパにおいてはそれまでの石造りの様式的建築に対して、エンジニアリング(技術)が環境を支配し始めた「エンジニアの時代」ともいえる歴史の節目だ。ガラスはその後、鉄骨高層ビル建設の重要な素材として建設産業の一翼を一方で担い、他方で近代建築家たちの新たな空間構築の実験の中に様々な形で組み込まれていく。一九二〇年代、三〇年代には新たな感覚を求めてガラスを組み込んだすぐれた近代建築が生まれた。ガラスのボキャブラリーとして、透明性と反射性に加えて、半透明性が加わってくるのもこの時代だ。日本の伝統的建築素材である「障子」と同様の半透明な資質を持つガラス、しかも光を集光して導入する「ガラスブロック」がいくつもの歴史に残る近代建築作品の中に現れる。その中でもピエール・シャローによって設計され、現存しているパリの「ダルザス邸」(一九三一)(通称「ガラスの家」)は秀逸だ。石造りのアパートの一、二階をくりぬいて鉄骨とガラスブロックの近代建築が挿入され、拡散した柔らかな光が外部からの視線を遮断し、落ち着いた住の空間を見事に生み出している。

 現代建築の中でもガラスは主要な素材としてますます探求されている。熱を伝達しにくい複層ガラス、構造材として鉄と一体化して組み上げられる構造ガラスシステムに使われる強化ガラス、火を遮断する耐火ガラスなど多くの建築用ガラスが生み出されているが、非結晶素材としてのガラスは、多くの更なる可能性が期待できる。光ファイバーなどのニューガラスの世界からの技術もそのうち建材へと導入されてくるかもしれない。ガラスは実に興味の尽きない建築素材だ。

 誰もがガラスは透明だと思っているが、一般に建築に使われるガラスには色がついている。割れた窓ガラスの断面を見れば、それがエメラルドのような深いグリーンであることに気づくだろう。一般の建築用のガラスには鉄分が含まれていて、それがグリーンの色をガラスにつける。パリのルーブル美術館改装増築工事では、入口のガラスのピラミッドには建築家I・M・ペイの意志により、このグリーンをできる限り抜いた色のないガラスが使われた。ガラスの透明さの持つ魔術性を強調した大きな挑戦だったといえる。

 ガラスのもう一つの特質、反射性。鏡としてのガラスの役割は透明なガラス、半透明なガラスとともに人間の生活の内で生きつづける。静かな湖面に映る山々の風景の映像が持つ写像の神秘さは、鏡とともに室内に持ち込まれた。テレビのモニターやコンピュータースクリーンに囲まれた今日でも、鏡は自立したもう一つの映像装置のように思う。テレビのなかった時代、鏡は室内で唯一の架空の映像メディアだったといえるだろう。鏡の中で活躍する主役は、鏡の置かれた空間に生きる人々。

 鏡は宗教、文学の想像の世界に異空間の亀裂のように入り込んできたが、映画や写真の世界でさらにその役割を拡大する。タルコフスキーの映像作品を思い出してみるといい。「鏡」と名づけられた作品のみならず、反射像は彼の作品の中で屈折し、飛び回る。水面のきらめきと反射、鏡やガラスの反射は、映像の物語の中で心理の劇的転回と交叉する。「水の中のナイフ」や「反撥」、そして「吸血鬼」などのポランスキーの作品にも、鏡や反射像はちりばめられる。

 鏡へ思いをよせてみながら、ふと気づいた。日常の中で最近、鏡を意識することが少なくなった。せいぜい髭を剃る時ぐらいだ。それも、顔も見ずに、髭の剃り具合だけ見ている気がする。家やオフィス内ばかりではなく、街頭にもスクリーンやモニターが散在するようになり、映像が環境にあふれすぎたせいなのか、自分の像を見ることなどに飽き飽きする歳になったのか。いずれにせよ、鏡の世界の豊かさを忘れ始めているのかもしれないと思うと、少々寂しい気持ちになった。