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小間久商店は、ガラス・建材を通して地域社会に貢献して行こうと考えています。

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〒590-0061 大阪府堺市堺区翁橋町2-5-14

こきゅう報から 私の小間久入店の頃 DESCRIPTION based on LAW

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こきゅう報から 私の小間久入店の頃 綿谷章二




 私は今から53年前の、昭和10年に最初に入店しました。寺地町山ノ口筋で、間口三間、奥行きは十間以上有り、其の半分ほどが店舗で商品は硝子食器、ビン類、医療用硝子製品など、硝子製品なら何でもござれで、その他電気器具一式、電燈のカサ、カキ氷の機械、のれん、すだれ、はた、当時は燈油ランプやカーバイドランプも良く売れました。その上店頭では、タバコも売っており、小間物屋の久さんと言ったような店でした。商品は倉庫二階全部と、ちょっとはなれた所に大きな、元、造り酒屋の倉庫に山ほど積んで有りました。

 板硝子は店の中ほどに硝子の棚が少し有って、裏に、当時1ケース木箱にワラ詰めで入って居り20箱前後在庫が有りました。仕入先は、小山硝子店(現在の大阪板硝子販売)です。少量の硝子は、当時、見学硝子店が仲卸をして居り、現、見学社長が十五、六の時で横付自転車で配達に来ておりました。お得意先は、建具屋、かんぱん屋、陳列屋、それと破れ替えが主でした。

 当時の卸屋は、専業者以外に余り硝子を売らなかった。時代の流れとはいえ、今は小売屋のすぺき仕事までせねぱならぬような時代になってしまった。テーブルトップなどの加工は店で金剛砥石で仕上たものです。別摺り、文字抜きなど、晩によくやったもので、大板の加工は、当時、堺に加工屋がなくて、大八車に木箱に入れ、大阪日本橋まで引いて行き、半日乃至、一日がかりです。

 当時、社員は、5〜6名で硝子入れと硝子器の配達が主で、松原、長野、泉北、岸和田方面を自転車にリヤカーを付けての配達は重労働でした。当時の仲間も戦死3名、病死2名、現存しているのは私の兄と上坂硝子店のお父さん、奈良に居る川口君です。

 その当時の硝子業者で現在有る店は、広田硝子店と安井町に大堀硝子店が有りました。北では堀内硝子店、阪井硝子店はなく、硝子器の製造をして居り、西井硝子店は当時スダレ屋をして居り、この弟さんが見学硝子店に養子に入り現在の会長です。中島建具、あんどや、ツツミ、小泉、大谷、小久などの各建具店屋は、当時は皆、古道具屋でした。

 私共一家は、小間久商店には義母、私、妻、長男、私の兄が働いて居り、義母は初代店主につとめており、現在四代目社長まで七十数年続いています。



(1989年9月)


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